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NPO法人日本ソーシャルワーカー協会は、
社会福祉の課題を学習し、協働して解決に取り組んでいきたいと思います。
皆様のご参加を歓迎します。 

NPO法人日本ソーシャルワーカー協会の提言
 ソーシャルワーカーからの提言   につきまして、
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2013.10.19 Sat l 提言トップ l コメント (6) トラックバック (0) l top
労働力を商品とする市場経済社会にあっては、ともすれば、人間の価値そのものを労働力によって評価しようとする。
経済のグローバル化、高度な産業化が進む現代社会で絶えず要求されるのは、いかにして能率を高め、生産性をあげるかである。
それゆえ、労働力としての商品価値を持ち合わせる者には高い評価が与えられ厚遇されるが、商品としての労働力を持ち合わせないとか、たとえ持ち合わせていてもほんの少量であるとか、それが社会の求めているものと合致しない場合には、評価の低い人間、ときには価値のない人間として見放されてしまう。
弱肉強食、適者生存の原理のもとに自然淘汰の学説を唱えたイギリスの博物学者ダーウィンの生物進化論を、このように社会現象の中にもちこんだ理論を社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)という。
このような思想があらわれたのは、発展途上国にたいし先進国といわれる国々が行った植民地政策が進展し、工業化が進みつつあった19世紀とされているが、市場経済が発展した今日、ソーシャル・ダーウィニズムがふたたび姿を変えて頭をもたげている。
新自由主義、規制緩和のもとで社会構造・産業構造がきわめてドラステイックに変容して格差社会があらわになったわが国にあっては、一層その感を強くする。
ともすれば、商品価値としての労働力をもちあわせていない社会的不適合者としての烙印を押されがちな高齢者や障害者あるいは福祉サービスを必要とする者は、限りある国家資源を脅かすことさえあれ、社会に貢献する価値は希薄なものと断をくだされてしまうことになる。
それゆえに、ソーシャルワーカーの存在と力量がいっそう必要であり期待されるところである。
長期に亘り不況にあえいでいた日本経済が、昨年の政権交代を節目に俄かに株価も上昇に転じ、景気も活況を呈してきたかの感があり期待感も膨らんでいる。
これを契機に広く国民の生活に少しでも潤いが生じれば喜ばしいことであるが、まずは企業の収益好転が優先され、その後の状況を判断してから人々のふところが潤うという図式になっている。
しかしこれから先には消費税の引き上げや、インフレによる景気回復のためと称し物価の2%上昇も見込まれており、厳しい雇用条件を強いられている多くの非正規雇用者や年金生活者にとっては喜んでばかりはおれない。
ひよっとして、これらがもとでまた新たな格差が増幅されはしまいかとの懸念も抱く。
生活保護受給者も210万人を超した、ところが政府は生活扶助費の削減を盛り込んだ2013年度の予算案を提示した。
これに関しては日本ソーシャルワーカー協会を含む社会福祉専門職団体協議会(社専協)が、削減理由に根拠がないことを明示し一致して反対声明を国会に届けた。そんな折に、兵庫県小野市は生活保護受給者が保護費をパチンコなどのギャンブルに浪費している姿を見かけた市民に情報提供を求める「福祉給付制度適正化条例」を4月1日から施行した。
たしかに各種マスコミが伝えるように生活保護の不正受給や保護費の使途方法について多くの問題があることは事実ではあるが、条例に関しては賛否両論があろう。
善良な市民がこの条例に従ってスパイもどきの監視の目をひからせている姿を想像するだけで多くの人は複雑な心境に陥るのではないか、ましてソーシャルワーカーの一員として考えさせられることが多い。
社専協が一致しておこしたソーシャルアクションも我々の務めであるが、なによりも日々生活困難に直面している人々に寄り添い自立支援するのがソーシャルワーカーの責務である。
複雑で困難な事情をかかえた福祉現場で奮闘している優れたワーカーの働きをよく知っているが、それでもなお市民の監視の目を必要とする条例は、専門職たるソーシャルワーカーの存在、力量に問題ありとする警鐘と解すべきなのか。

2013年4号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第84号
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2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
2012年の最後の月となり、一年の振り返り、新しい年や年度のあり方などを考える時期となった。マスコミは連日、衆議院の解散から国政選挙、日ごとに変化する政党の離合集散の話題をくり返し伝えている。
我国の政治のトップが入れ替わろうとしている今年は、我が国に直接的な大きな影響を及ぼす周辺国や大国のトップが入れ替わった年でもあった。
新しい年において、これらの新しい政治家たちの下で、つつましく平和な生活を望む国民一人ひとりの生活が左右され、翻弄されるであろうことは誰もが認めざるを得ない事実である。
社会を見わたせば、ノーベル賞やスポーツの活躍などの嬉しいニュースがある一方で、暴力や殺人、いじめや虐待、自殺などのニュースが後を絶たない。
海外では、飢餓や飢え、貧困や災害に苦しむ多くの人々がいる事実を尻目に、内戦や軍拡に力を入れ、領有権をめぐってお互いを威嚇し、ミサイルまでも飛ばそうとしている。
国益や国の威信という大義のもとに、トップの意地のぶつかり合い、力による威嚇、また意図的とも言えるプロパガンダによって他国のイメージを傷つけ、しのぎを削る様子は、家族を愛し平和に暮らしたいと望む冷静な国民に、どれほどが支持されているのかと疑いたくなる。
本当に、テレビでトップが語る社会や国のあり方が本当に正しいのであろうか。
本当に、政治の実権を握る人達の言う政策を信じ、我々の社会や人類の未来を託してもいいのであろうか。
人類の平和を考え人材を育てる手段であるはずの教育が、他国の悪いイメージや敵意を植え込む手段となっていいのか。
一人ひとりの理解に貢献すべきマスコミが、刹那的な娯楽番組や単なる扇動の手段であっていいのか。
世界は確かに、言葉の壁や地理的な距離によって、それぞれの国民が分断されている。
しかし、たまたま生まれ出た国の教育や報道によって意識が左右され、平和を願っているはずの無欲な人たちが武器を取り合い、戦い、命を落とさなければならないのか。
人類は、いつまで同じ過ちを繰り返すのであろうか。
これまで我々人類は、あまりにもトップの人間に期待し過ぎたのではないか?
桃太郎や黄門様のような善良な英雄によるマジックのような世直しを夢見すぎたのではないだろうか。
政治のトップに対する期待や夢は、テレビのヒーロー・映画スターにあこがれ、自分を投影して我を忘れる子供・若者の姿と同じではなかったのか。
そのような漠然とした期待や委任が、人類の歴史を戦争の歴史に塗り替えてしまったのではないのか。
力のある者とない者、影響力のある者とない者、政治家と国民、中央と地方、既得権のある者とない者、知るものと知らない者、できる者とできない者、いろいろな人間がいることは誰でも分かる事実である。
しかし、これらの人間や集団間にある大きな影響力・豊かさ・権限の乖離は埋めがたいほど大きな溝である。
おそらく、どの歴史においても、後者は前者に力には反論すらできず、その意図に従わされ、その言葉の下に忍耐を強いられてきたであろうことは想像に難くない。
どの歴史書も、前者を中心書かれていることからも、その格差は明かである。
これまで人類が、政治家や権力者に期待し委ねてきた政治的原理に基づく平和社会づくりの手段には、大
きな欠陥があり限界にあることは明かである。
今後一人でも犠牲者を減らすために、権威に期待し委任するのではなく、新しい原理・方法を構築しチャレンジすべき時に来ている。そのために我々は「ソーシャルワーク」という旗の下に集まっている。
幸い我々には、多くの実践理論や実践例があり、加えて、歴史の中には、偉大な先達(例:ガンジー、キング牧師、マザーテレサ等々)も多くある。
人間や社会の「Well-Being」「人権」を考え「社会変革」を標榜する個人(団体)として、これらの先達にならい、すべての権威や壁を越え、自由な視点を持った一市民(ソーシャルワーカー)として、世界の志を同じくする仲間たちと手を取り合い、内外の問題に真剣に取り組むべき時であると考える。

2012年12号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第82号
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2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
先月9月東京で開催された恒例の社会福祉公開セミナーは、社会福祉関連学会の一翼を担う日本ソーシャルワーク学会との共催によるものであった。
現在わが日本ソーシャルワーカー協会は福祉4団体の職能団体と位置づけられている。
学会と職能団体が共催でセミナーを開催することは他ではあまり聞かない。
日本ソーシャルワーカー協会の創設は1959(昭和39)年であり、当時は福祉関連の学会も少なく職能団体も殆どなかったので、その頃の協会は学会と職能団体を併せもった役割と機能を果たしていたともいえる。
その後協会は諸般の事情により活動が中断された時期もあり1983年に再建されたが、当時事務局長として懸命に協会を支えて下さったのは筑前甚七先生であった。
今ではそのお名前を知る協会員も多くはないであろう。
久しぶりに書斎を整理していると先生がお書きになった、あるソーシャルワーカーのエッセイと副題がついた「デクノボウの挑戦」という著書が目についた。
自らを謙遜されて愚直で役に立たない者という意味のデクノボウという表現を用いられたが、ご本には協会とソーシャルワーカーの存立意義、使命、期待等々味読すべき先生の思いが散りばめられている。
また、再建後7年経った頃の協会員はおよそ2000人であったことも記録されている。
その頃と比べて福祉関連の学会や職能団体の数が飛躍的に増加した現在、専門化・細分化された学会や団体に枝分かれして所属し、その結果協会の会員数が減少したのは事実である。
しかし、かって学会と職能団体を併せもった役割と機能を果たしていた由緒ある協会である誇りと使命はこれからも保持しなくてはならない。
この会報の題字は同志社大学名誉教授の嶋田啓一郎先生の筆によるものであり、逐一お名前は挙げないが永年にわたり日本の社会福祉の主柱を支えておられた多くの著名な先達から貴重な教えに導かれてきた協会はいわば老舗
である。
しかしながら名門の老舗といわれた企業や団体が暖簾のみを誇り、奢り高ぶりが先行して倒産する例を引くまでもなく、常に協会が果たすべき使命を謙虚に振り返らねばならない。
先月の社会福祉公開セミナーでは、国によって様々な事情がありストックホルムで開催された今年度のIFSW総会でもソーシャルワークの国際定義については継続審議となった経緯が報告された。
しかしクライエントの最善の利益を守る立場を保持し行動するソーシャルワークの基盤においては共通部が多く存するはずである。
国際定義の作成に関わりご苦労下さっている関係者には敬意を表するが、協会の使命としても岡本会長が前号で明示された概念を基に一定の見解を提示する努力が急がれる。
定義がさだまらない間にもソーシャルワーカーの援助を必要とする様々な現場があり、その現場で苦悩する多くのソーシャルワーカーがいる。
ソーシャルワークの道しるべたる定義は崇高かつ普遍であるべきだが、厳しく複雑な現場ではときに高邁な原理や定義は文言のみが独り歩きしワーカーには空疎に響くこともある。
呪文のように高説を繰り述べるだけでは悩める若きソーシャルワーカーには届かない。
現に公開セミナーで「定義を具体的にどのように実践しているか」に関する報告が伝えられたが、会場から若き
ワーカーの見識の低さを叱責する意見が発せられた。
日頃の支援活動では原理や定義は深く意識されることはない、しかし困難事例に直面し右か左かを決するときに真価が問われるのである。
幸い老舗である協会には、先達からソーシャルワークの真髄を学び豊富な実践と経験を積まれた多くのワーカーがいる。
先輩ワーカーは国際定義についても積極的に提言する一方で、次代を担う悩める若きソーシャルワーカーに援助技法の奥義を噛み砕き、生の声と活きた言葉で伝える大きな責務がある。

2012年10号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第81号
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2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
過日、ストックホルムにおいて、3つの国際会議が開催された。
116か国から2500名余の参加があり、盛会のうちに終了した。
今回のテーマは「ソーシャルワークと社会開発~活動とインパクト~」であった。
このところのグローバル化の進行と加速化する文化、宗教、価値観などの多様化、個性化によるダイバーシティ現象は混沌とした世界情勢の反映で、それらを彷彿とさせるソーシャルワークの研究実践報告が随所に見られた会議でもあった。
ところで、国際ソーシャルワーカー連盟の方では、2000 年に採択された国際定義をめぐって改訂・改革の声が提起されていたが、上記の情勢も含めて検討・吟味は先送りされることになった。
一方、国内で市販されている社会福祉の書物やテキストには、この国際定義が引用され、周知のものとなっている。
しかし、今ソーシャルワークは社会福祉のあらゆる領域において、その実質上の存在意義が根本的なところから問われている。
それはソーシャルワークの有用性と存在価値そのものを問う議論であると同時に厳しい評価でもあるといえる。
だが、残念なことにこの定義をめぐる議論は一部の関係者のみの検討に終始している。
別言すれば、日本のソーシャルワークが国際的な水準とは、大きな懸隔がるという認識なのか、それともこの定義に記述されている基本的枠組みを具象化していくことに困難があるとして認識されているのかは曖昧であり、これをめぐる提言や議論も不活発である。
学術会議では、すでにソーシャルワークが機能するために必要な社会システムの構築と造成についての提言を行っているが、反応は捗々しくない。
この背景には様々な要因が絡んでいるが、現場では、理論と実践との関係の整合性やフィードバックシステムのあり方が深く関係しているように思われる。
つまり国際定義のキーワードとなっている専門職、改革、理論の利用、個人と環境との関係等などに関する各国、各圏域ごとの解釈の相違があり、共通語でありながら、解釈の側面で凡そ共通認識に欠けている。
その背景には、一方におけるグロ-バル化による普遍化、共有化の動向と同時に、先述のようなにダイバーシティが加速度的に進行し、基本的枠組みをめぐるパラダイムが危機に瀕している。
さらに実践と理論を左右する実践的な科学の合意形成が難しく、ソーシャルワークの内部における共通性、等質
性、普遍性の深化を妨げている。
別言すれば、ソーシャルワークの近接領域に対する独自性、固有性、排他性を曖昧にし、実践活動が準拠すべき理論や科学に仕方について、「人間行動」と「社会システム」理論の応用に留めているところに大きな課題がある。このままでは過去1 世紀続いてきたソーシャルワークの科学化や理論化への努力を停滞させることになりかねない。
あえて誤解を恐れずに言及すれば、ソーシャルワークの理論と実践に通底する「実践的な研究方法論」が未成熟であることに起因すると考える。
つまり約1世紀余の間、ソーシャルワークの基礎理論は諸科学の知見と法則の応用に終始し、内発的、自生的な実践的研究方法論が生成・構築できなったことによるのではないか。
従って隣接諸科学に知見や法則に依拠する理論でソーシャルワークが組み立てられ、モデルとして現場実践に応用されていくのが一般的である。
この閉塞感や依存体質から脱却するためには、新たな発想を取り入れた実践的研究方法論の生成が希求されている。
それには、伝統的な応用科学としての研究方法、実践を科学化するアプローチ、利用者ニーズの論理化などを弁証法的に展開する方法とこれら次元の異なる成果を新たな発想、開発、発見、発明をもたらす「触媒」を通じて融合化する作業に取り組まなくてはならない。
こうした内なる努力によって今後は隣接諸領域に対して、寄与し、貢献できるようなソーシャルワークの新たな構築が期待されるところである。
この暴論ともいうべき提言について忌憚のないご批判とご教示を期待するものである。

2012年8号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第80号
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2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
このところ社会福祉をめぐるニュースには、トラブルや不祥事など暗い情報が散見されるが、福祉業界全体が暗い話題ばかりで埋め尽くされているわけではない。
新しい年度は明るく夢と希望のある情報とともにレジリエンス(resiience復興・修復力)理論を基盤にして新たな活動・事業を創りだしたいものである。
今年は、年頭にも宣言(福祉新聞年頭所感・会報2月号P.3に掲載)したように「情報発信力の強化」に向けて色々なプログラムの実施を試みたい。
特に現場で日々実践されている営為の系統的蓄積の中から、「実践知」や「臨床知」を析出し、その成果を社会的に発信する助成事業を具体化することにしている。
すでにJASWのホームページ(HP)にも掲載している通り、社会福祉情報発信事業に対して、一定の基準に基づき助成金を拠出し、その活性化を促進する事業である。
多分会員の中には、貴重な実践や成果を数多く保有されていると推測されるが、これらを社会的に公開したり、発信したりする場と機会に恵まれていない方々も少なくない。
高度情報化社会にあって、ひとりソーシャルワーカーのみが沈黙を保持している姿は決してほめたものではない。
言わずもがなのこととはいえ、専門家は高度な知識と優れた技能、高邁な価値観と倫理観に裏付けされた存在であるが、今一つ重要な点は、専門職の語源である公言(profess)という言葉である。
つまり、専門家たるソーシャルワーカーは、自らの営為について責任を持って公言する責務を伴うものである。「物言わぬワーカー」を決めてかかる謙虚な専門家もいるが、「もの申すべき事態」に対しては、沈黙を守ることは、必ずしもほめるべきことではなく、積極果敢に社会的に発言することも専門家としての社会的使命でもある。
アカウンタビリティが取りざたされるが、これは説明責任だけではなく、結果責任を伴うものであり、それらを正当に遂行できることが専門家としてのソーシャルワーカーの極めて重要な社会的責任であるといわなければならない。
各地でみられる虐待問題、施設・機関における職員による暴行事件、セクハラなど不祥事に対して、ソーシャルワーカーの視点から社会的に公言する活動を活発化しなければならないと同時にこれらに対する体系的な予防防止策を開発、創生し、相互に共有し合うと同時に積極的に提言をしていくべきである。
これらの不祥事の背景には、福祉労働の在り方と関連諸条件について綿密な考察が不可欠である。
特にソーシャルワーカーの教育・訓練・養成・研修とも関連する課題として、ソーシャルワーカーは、肉体労働であるとともに優れた頭脳労働であり、かつ「感情労働論」であることの自己認識の側面を改めて取り上げるとともに「ストレスマネジメント」についても別の機会に取り上げたいと考えている。
(日本ソーシャルワーカー協会 会長 岡本 民夫)

2012年04号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第78号
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2012.07.23 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (1) トラックバック (0) l top
未曾有の大地震、大津波に見舞われた東日本大震災から1年弱、被災地の環境や被災者の心の傷は今尚修復し難く、完全復興や回復は不可能という声もある。
しかし、大戦後や大災害後に社会福祉は大きく進展したという歴史的事実に学び、世界に類をみない今回の大災害を転じて日本の社会福祉向上の機会と捉えて前進したい。
さて、今年度本会の役員改選が有り、副会長と云う大役を拝命した。
青天の霹靂とも云うべき今回の出来事で、恰も突然高山に登った如く、息苦しささえ感じた。
しかし社会福祉の道に入職して以来、心より尊敬する仲村優一先生、阿部志郎先生、鈴木五郎先生が半世紀を超えて牽引して来られた日本ソーシャルワーカー協会の新リーダーとして、岡本民夫先生が立ち上がられたことを心から喜び、今回の役割期待を天啓と肝に銘じ、不撓不屈の精神で支え、組織発展の為、社会福祉向上の為に全力を傾注したい。
さて、前置きが少々長くなったが、社会福祉を取り巻く環境は大きく変化してきている。
社会福祉は施設から在宅へと転換され、1990 年代に全国規模で福祉基盤が整備され、2000年に措置から契約へと制度が転換された。
特に社会福祉事業に営利企業やNPO等の多様な主体が参入し、増加する現在、社会福祉法人は少数派にさえなりつつある。
地域包括ケアシステム研究会報告で「地域包括ケアシステム」の構築が明確に示され、市・町に限定された「地域密着型サービス」が今後の中心施策となり「自助・互助・共助・公助のバランスの取れた福祉」がテーマとなってきた。
これをどのように具現化するかが我々に与えられた大きな命題である。
この命題の実現の為には社会福祉法第24 条の定めのように、社会福祉の主たる担い手と明記された、社会福祉法人が名実共に機能する為には、社会福祉法人経営の中心にある理事長、施設長が古き良き時代の社会事業家の精神を改めて学び、現代の社会に合致した社会福祉事業を展開する必要がある。
地域包括ケアの実現の為には、全ての社会福祉従事者がソーシャルワーカーとしての視点を持ち、職務遂行すると共に地域互助の中心となるキーパーソンも市民ソーシャルワーカーとして実践し得るよう、ソーシャルワークの一般化が必要と考える。
その為には日本ソーシャルワーカー協会が、社会福祉事業主、管理者や従事者等の教育や研修の機能を果たすと同時に、地域の互助の中心となる市民にソーシャルワークの教育、動機づけをする役割を果たさねばならない。
本会執行部の多くは福祉教育に携わる方だが、私の役割は福祉実践者として本会に社会福祉事業の現場実践者の仲間を増やし、日本型福祉の実践の確立と理論化ができるように努めたい。
「ケアマネージメントからソーシャルワークへ」という潮流・うねりを本会主導で創って行きたい。
結びに今年5月26・27日、本会の総会・セミナーが沖縄で開催される。
その「社会福祉事業経営とソーシャルワークのあり方」という分科会で多くの仲間と地域包括ケア時代の社会福祉事業経営と展開のあり方、「コミュニティアセスメント」のあり方等の議論を考えている。
多数の関係者の参加を心から期待する次第である。
(JASW副会長 川西基雄)

2012年02号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第77号
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2012.03.31 Sat l その他の提言 l コメント (0) トラックバック (0) l top
去る7月、東京で開かれたIFSWアジア会議に参加する機会を得た。
86年8月の国際会議以来25年目で、「ソーシャルワークの定義」や「グローバルアジェンダ」が議論され、大きな節目を感じる有意義な大会であった。
この25年間、日本の社会福祉も大きく様変わりした。89年の「今後の社会福祉のあり方について」の理念は「市場原理」や「競争原理」の考えに代わり、福祉の力点は経済重視や契約・等価交換などの合理的な考え方で処理されようとしている。
また、問題重視・技法重視の傾向は「問題を見て人を見ない」「現場より制度重視」になりかねない、というのが私の印象である。
先日、社会福祉法人の施設長の研修会で発言する機会を得た。
討論の中では、現状を肯定しつつも、深いレベルでの危機感を感じさせる発言も多く、社会福祉法人の存在理由だけでなく「社会福祉事業」という用語さえ消滅するのでは、という声まで聞かれた。
様々なレベルで、上意下達・権威的手法が存在し、組織の私物化、縦割り、心と技術の乖離、営利追求や党派的傾向は強化され、臨床場面で最も重要な役割を果している介護職等(看護職や民生委員等も含め)が低く評価され、若者の福祉離れまで引き起こしている。
力ある者や特権階級にある人たちは、競争原理を公然と取り入れ、力をもって自らの権益や生活を守ろうとする。しかしそのような競争の原理は、優勝劣敗の現実を生み出し、富の偏重や人間の軽視、差別や偏見を生み、世界各地において「平和のための戦争」という明らかに矛盾した論理によって国民に犠牲を強いる戦争の原因にさえなっている。
身近なレベルから国際レベルまで、力ある者はより強く、力ない者をより弱い立場に追い詰める原理ではないか。
今回の東北の震災の現場を訪れた際、あまりの被害の大きさに言葉を失い、一人に人間の無力さを思い知らされた。
しかし、その後の国内外からの支援には素直に感動し、世界が賞賛した被災者の方々の冷静さ・秩序ある行動に対し、同じ日本人として誇りに思い、感謝の気持ちで一杯になった。
私たちが学ぶべきは、人間にとって本当に必要なものは「暖かい人間の絆」であり「普通の生活」であること、そして困難に対しては国や宗教、貧富の違いを超えて世界は一つになれるという事実ではないだろうか。
人々が助け合う間にも、権力のある者は殺し合い、力ある者は地位や勢力拡大に懸命であったのは悲しむべき事実である。
このような時代において、世界の底辺で生活する「無欲な人々が望む平和な社会」を実現するために、政治的手段に代わる「新しい価値基準・手段」として「ソーシャルワーク」を位置づけることはできないかと考える。
会議の中でグローバルアジェンダを討議し、国連や世界にネットワークを有し、倫理綱領を有し、社会正義や人間の好ましいあり方(Well-Being)を目的とするソーシャルワークは、単に援助技術にとどまらず、競争や力を基本とする政治的手法に欠落する「人間を中心とする視点・実践原理」を有しているのではないだろうか。
我々には、震災の中で多くの人々が示した模範がある。
世界には、力によらず(非暴力によって)社会は変えられることを証明した先人たちの例など多くの手本がある。
我々は、競争と不安の多い現実社会にあって、私たち一人ひとりが手にした「ソーシャルワーク」を再確認し、底辺の現場で無欲に働く内外のワーカーたち目を向け、謙虚な姿勢で手を取りあっていく必要がある。
その点で、IFが提示した「ソーシャルワークとは何か?」「我々がと組むべき課題は何か?」という問いは、そのまま我々自身の課題でもある。
専門職団体として、会員の資質を保障する研修体制は必須である。
そのために人々の思いや歴史にに学び、「福祉学」を体系化に努め、ソーシャルワークの普及と世界へのジョイント役となると同時に、誇りをもって行動するソーシャルワーカーでありたいと考える。

2011年12号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第76号
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2012.01.19 Thu l その他の提言 l コメント (0) トラックバック (0) l top
長きにわたり主柱的存在として日本ソーシャルワーカー協会を主導されてきた仲村優一元会長は、自己紹介するときには「私はソーシャルワーカーの誰々です」とまず名乗り、その後で各自が所属する職場なり組織名を述べることを提唱されていた。
そこには常にわれわれはソーシャルワーカーであることの自覚と戒め、さらに矜持をもつべきだとの深い思いがこめられていた。
ソーシャルワーカーはさまざまな場で支援活動を展開しており、所属や職種、職階も多岐にわたっている。
実践現場で活動している人もいれば、ソーシャルワーカーを養成する教員の多くもまたソーシャルワーカーとして活動している。
それぞれの専門分野で定められた資格を有する人もいれば、資格はなくとも業務を通じて範となるべきソーシャルワーカーもいる。
しかしながら支援活動をする際に所属や職種を伝えるワーカーはいてもソーシャルワーカーと名乗る人は殆どいないように思う。
それがまた多くの市民にソーシャルワーカーの存在や名称が膾炙されない所以かもしれない。
専門分野が細分化されるに従い、ソーシャルワーカーとして分野を超えた共通基盤や認識が薄れてきたのかもしれない。
ソーシャルワーカーの専門性は
「知識(理論・制度)」
「技術(ソーシャルワーク)」
「価値(倫理・人間の尊厳)」
の練磨にあり、それらを学ぶ機会や場も多くあるが、近年では各自が所属する専門分野以外の学会、講演会、研修会等には参加者も少なく関心を示さない傾向にある。
しかしながら専門分野ごとに特有な視点や手法はあっても分野や職能団体の枠を超えて共に認識を深め、学ばねばならない共通基盤としての課題があるはずである。
それはソーシャルワーカーとして最も基本である実践行動上の基本指針と戒めを問う倫理であり価値でなかろうか。
アメリカでも、代表的な専門職とされる医師や弁護士と比べ、社会福祉職は専門教育期間が短く、生命、人権への関わりが浅く、倫理綱領が明白でないなどの理由で、専門職として疑わしいとの議論があり、フレックスナーとか、ケースワークの母として著名なM.リッチモンドもそういった指摘をし、専門職であるための提唱もしていた。
そこで1973年の全米ソーシャルワーカー協会が初めて社会福祉専門職の倫理綱領を採択し、現在では10 万人規模のソーシャルワーカーが専門分野を超えて繋がっている。
1975年にはイギリスのソーシャルワーカー協会の総会で倫理綱領を採択し、国際ソーシャルワーカー協会(IFSW)が1976年に倫理綱領を採択したという歴史がある。
ところが、日本には社会福祉職に共通した倫理綱領が無く、度々の要請にも拘らず当時の厚生省は、倫理綱領を保持していないということで社会福祉専門職の国家資格をためらった。
ところが、日本で開催された国際社会福祉会議が社会福祉専門職制度促進の契機ともなったが、1986年にわが協会が「ソーシャルワーカーの倫理綱領」を策定したことにより、翌1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定され10年後の精神保健福祉士の誕生に寄与したことは周知の事実である。
また2002年には福祉4団体共通の倫理綱領の検討を開始し成果も挙げてきた。
専門分野を超えたソーシャルワーカーの架橋的繋がりを基とするわが協会は、これまでもソーシャルワーカーの倫理に重きを置き倫理委員会でも盛んに議論され刊行物も上梓してきた。
市場原理、競争原理が導入され、ややもすると営利性が先立つ福祉現場やその管理者・経営者、また議論が始まった市民ソーシャルワーカーの養成、そして「私はソーシャルワーカーの誰々です」と名乗り、それを誇りにするためにも、ソーシャルワーカーの価値・倫理を問い続けることに日本ソーシャルワーカー協会存立の原初的意義があると認識している。

2011年10号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第75号
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2012.01.19 Thu l その他の提言 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先般、社会保障と税の一体的改革を目指すとして、首相を本部長とする「政府・与党社会保障改革検討本部」は、6月までに結論を出すことを明らかにした。
改革の主要な論点は、
①基礎的な年金の財源問題
②世代間の不公正の是正
③少子化対策や子ども手当の扱い
④医師不足や介護の担い手不足の改善
⑤社会保障費
⑥社会保障費の効率化や自然増の抑制
である。
また、国民負担のあるべき論議として、
①税と社会保険料の負担増のバランス
②消費税引き上げの幅と時期
③法人税、所得税、相続税などの抜本改革
④国民負担増に伴う低所得者対策
等もまとめるとしている。
しかしながら、これらの一連の流れには、いくつかの課題がある。
第一は、改革の目的である。
今、社会保障のあり方を問うことは、21 世紀の福祉国家のあり方を問うことである。
今回の目的は、消費税値上げありきで、その財源を既存の社会保険制度に充当することの意図が覗き、本格的な社会保障改革を図る国家戦略が見えないことである。
その証拠に、検討の方法が小泉内閣時代に官邸主導の「経済財政諮問会議」が、毎年、2000 億円の社会保障経費を削減し続けようとした国民参加の手続きを欠いた手口と酷似している。
第二は、改革の視点である。
今、社会問題化している高齢者不在問題、無縁社会、自殺、貧困、うつ病の増加、児童や障害者虐待、いじめ、家庭内暴力、介護に伴う虐待や殺人、高齢者、知的障害者の刑余者の再犯問題等の背景にはグローバル経済問題があり、既存の制度の対応では限界を超え、新しい革袋の新社会保障制度の確立が急務である。
これまで公表されている列挙された作業の検討項目からはその視点を含むとはとても思えず、この現代社会の緊迫したニーズを掬い取る視点を明確にすべきである。
第三は、社会保障政策はどこの省が担うかである。
1950 年の社会保障制度審議会の社会保障の定義は、
①社会保険
②公的扶助
③社会福祉
④公衆衛生
から構成され、1995 年の勧告で
⑤介護保険
が、さらに現代は
⑥雇用
⑦教育
⑧住宅
⑨家族
⑩地域
⑪文化政策
等の領域に及び、多省に渉る政策として大胆に構想されるべきである。
しかし、今回の論点は、このうち「社会保険」を所管する一省の財源確保に限定した感がある。
そこで提案がある。
第一に、
改革の目的は、究極には国民の安心な生活保障を憲法25 条の生存権、13 条の幸福追求権のもとに築き、国家の安定を図る社会保障政策を含む社会政策の確立にあることを明確にすべきである。
第二に、
社会保障政策の樹立は国民の参画を必須とすべきである。これからの社会保障を問うことは、福祉国家と福祉社会のあり方を問うことである。
このため、国民、当事者、学識経験者、学会、経営者団体、専門職能団体、基礎自治体等が参加した「新社会保障制度審議会」を復活し、英知を結集すべきである。
第三に、
社会保障の財源確保を多元化すべきである。
消費税の検討のみならず、各種税制に福祉税分を位置づけ、例えば相続税や固定資産税のうち数%を福祉目的に振り向けるとか、またわが国の1400兆円余の預金資産が、経済の活性化に寄与していない現状から、オランダのように年収の2.1 倍以上の預金には、「フロー資産税」(仮称)を新たに設けることなども検討されてよい。
第四は、
ワンストップサービス方式を原則とする「新社会保障事務所」(仮称)を設置すべきである。
政策の実現は専門技術の確保にあり、複合化、連鎖化する問題に重層的に対応する社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士などのソーシャルケアサービス従事者を任用し、社会福祉法改正を図るべきである。
第五は、
社会保障以外の既得権をそぎ落とす合理化にもっと真剣にならなければ消費税増税の議論には国民は納得しないだろう。
民間企業であれば当たり前の人件費の倹約、合理化がさっぱりすすんでいない。
また公務員制度全体の人員削減や給与の削減、国会・地方自治体議員の定数削減と給与の削減等も同時に実施すべきである。

2011年2月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第71号
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2011.03.08 Tue l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (1) トラックバック (0) l top
日本の専門職団体連絡協議会「社専協」の提案が、改正障害者自立支援法へ盛り込まれた。市町村総合相談センターの設置と専門職の配置である。
ようやく専門職団体によるソーシャルアクションが現実的な意味を持ちはじめた。
障害者自立支援法の廃止は、政権交代した民主党の公約である。
障がい者自身がこの法の廃止を求めるのは「我々を抜きにしてものごとを決めるな」という障害者権利条約で提唱されている世界の障がい者の切実な願いを背景としている。
かつて、当事者や専門職団体の意見が政策に結晶した例はどれほどあるのであろうか。
2000年以降の社会福祉基礎構造改革の理念は、今、実定法の現実を踏まえてその有効性が問われはじめている。
介護保険制度もその効果について今後、本格的な検証が進むだろう。
政権交代によって、障害者自立支援法の改正について、障がい者自身の参加による膨大な意見の集約がはじまった。
その意見の多くは、現行法を廃し、障害者総合福祉法(仮称)の成立を目指すものである。
今臨時国会は、「障害者制度改革推進本部における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律」という前代未聞の長い戒名の改正法を今国会で成立させた。
その主な内容は、
①利用者負担の見直し
②障害の範囲及び障害程度区分の見直し
③総合的市町村相談センターの設置
④障害児支援の強化
⑤地域生活自立支援の充実
の5点である。
本会からは、③に関する原案を提案した。
その要旨は次のとおりであった。
「障がい者福祉サービス専門機関の設置と社会福祉士・精神保健福祉士の必置について」           
1. 社会福祉サービス供給体制の現状と課題
  〇福祉原理よりも効率、採算、利益等を優先する多元的供給体制を伸張させ、その結果、利用者、従事者に不安な状況をつくり出した
  〇社会福祉法による福祉事務所は、現代の複雑、多様化する福祉・介護ニーズに包括的なサービス機関としても、多元的主体の公正な管理機能機関としても中途半端の機能しか発揮できていない。
2. 障がい者福祉サービス供給体制の現状と課題
  〇障害福祉サービスを包括的に推進する機関が市町村にないため、法の趣旨を十分に具体化することができない。
  〇社会福祉法人に障がい者の地域生活での支援を可能にする社会福祉士、精神保健福祉士等専門職の配置及びそのための財源担保等について配慮されていない。
3. 総合的な提言
  〇福祉事務所の抜本的な見直しと改善を図り、「ソーシャルケアセンター(仮称)」と改組し、保健、医療、福祉、教育、司法、労働領域に関するソーシャルケアの専門機関に改変すべきである。
なお、社会福祉法が改正されるまでは障害者総合福祉法の中で暫定的にこの専門機関を設置すべきである。
  〇その機関には、社会福祉士、精神保健福祉士を必置とすべきである。
  〇その機関は①直営及び②公益法人、③社団法人、④社会福祉法人等に委託することができることとするが 委託の決定にあたっては当事者、住民の参加を必須要件とすべきである。また、直営にあたっては社会福祉専門職の導入を前提とすべきである。
  〇障害者総合福祉法の運営管理にあたって第三者の評価機関を国及び県単位に設置し、毎年度、情報公開し、地域格差の解消を図るとともに障害者権利条約に基づき、
それらの機関と専門職が真に機能しているか国民に情報公開すべきである。

本会が提案した原案の趣旨を踏まえた「ソーシャルケアセンター構想」が「市町村総合相談センター」に組み込まれるかどうかは、今後の課題であるが、新しい時代を胎動させたものといえよう。


2010年12月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第70号
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2011.01.27 Thu l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
人間は、両親がいてこの世に誕生する。
数名の兄弟姉妹のなかで助け合いながら、時には喧嘩をしたりして人間関係の基礎を学ぶ。
祖父母や叔父叔母、地域の大人との関係のなかで親も子も人間関係を学ぶ。
もちろん事情があって未婚である人、単親もいれば一人子もいる。
しかし、こうした昔なら当たり前の人間が育つ基盤としての家族は、現代の著しい社会経済の変動に晒されて軋みをたてている。
いまや殺人事件の約1,000 件の半数は家族内殺人であり、無差別な通り魔のような殺人が家庭の中にも侵入してきたといってもよい。
親は子供の保育園や幼稚園、学校の保護者会で知り合い、協働することで人間関係を学び地域社会を形成してきた。
しかし、限りなき効率を求める経済のグローバル化は、人口移動を激しく流動化させ、人々は相互に見知らぬ地域に住み、加えて子供を生まない、産めない故に、親同士が知り合い協働する機会も失われてきた。
これが地域社会崩壊の大きな原因といってよい。
その予兆は、生涯未婚率の限りない増加だ。
男性の3人に1人、女性の4人に1人が生涯未婚者となる。
豊かな家族や地域社会を形成できることが人間としての成長や喜びの原点であり、それを支えるのが新たな社会保障政策の原点と考えるべきだ。
戦後の日本の社会保障政策は家族と地域社会を強い「含み資産」と看做してきた。
しかし、人々は戦前に抑圧されていた個人としての自由を求め、利己的な「個人主義」も台頭し、選択肢の多様化
を進歩とし、自由がすべてだと走ってきた。
もともと政策と人々の意識の乖離は予測されていたが、案の定、政策が意図した「含み資産」は幻となった。
この意図は特定の階層に最大の利益をもたらすために、人々の意識を逆手に取ったものといえるだろう。
その証拠に、一方では国民全体の預貯金総額が1400 兆円に増加したものの、他方では、ギリシャの再現を思わせる800兆円の国の借金と生活保護基準以下で生活する者の1000万人を生み出しているのがその証左である。
このように家族や地域社会の基盤を崩壊させ、富める者とワーキングプアを明確に二極化し、格差社会の深化を齎した責任は誰が負うベきなのか。
すべての人々の責任とはいえ、政策決定者の責任は特に重い。
このままでは、さらに人々の精神の荒廃化と、社会の崩壊を予測せざるを得ない。
人間の原点は家族にあり、今も昔も、人類が培ってきた世界が共有する普遍的な原理であることを国づくりの基本として構想する必要がある。
国がいま最優先すべき政策は、豊かな家族形成支援のパーソナルなハードとソフトに関する政策である。
先進諸国の家族支援の対GDP予算が3%~4%に比して、日本は僅か0.8%である。
特に、保育所の整備や育児休業の補償、拡大策、保育料や教育費の負担軽減、子どもの医療費の無料化など人生前半期に対する社会保障政策の充実である。
若者たちが安心をして子供を産み育てられる新たな社会づくりが喫緊の課題である。
社会福祉事業の世界では、低所得や児童、障害、高齢者と領域別に課題が語られるが、いずれも背後にある家族との関係を抜きにしては問題に対処することは困難である。
人類の生存基盤としての家族関係を支援する多様なハードとソフトに関する国民一人一人の必要に応じた社会保障政策の抜本的なあり方を提言したい。

2010年10月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第69号
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2010.11.01 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
国際ソーシャルワーカー連盟と連動して、第2回ソーシャルワーカーデー大会が、2010年7月20日(日)にソーシャルケアサービス従事者研究協議会(代表大橋謙策 17団体 10万人)の主催によって文京学院大学で開催された。

今年は、ソーシャルワーカーとは何をする人なのかを明確にするため、現代社会の焦眉の課題である「虐待」に取り組む目標を掲げ、全国的な活動を展開することになった。
大会は、協議会関係者と厚生労働省、文部科学省の参加による式典と国会議員の参加を得たシンポジウムが実施され、これまでの「児童虐待防止法」「高齢者虐待防止法」「DV 法」を総合化した「虐待防止基本法」の提案が行われ、初鹿明博衆議院議員の関心を集めた。
また地方でも15県で同大会が取り組まれ、栃木県では300人の参加者を得て「とちぎソーシャルワーク共同事務所」(①ソーシャルワーカー協会、②社会福祉士会、③介護福祉士会、④医療社会事業協会、⑤精神保健福祉士会、⑥ホームヘルパー協会)による事務所の開設10周年記念と併せて開催された。
内容は、大橋謙策代表による「21世紀の社会福祉の行方と社会福祉専門職への期待」の記念講演、「これからの社会福祉専門職への期待」をテーマとするシンポジウムが障がい者のNPO 法人理事長、社会福祉施設経営者協議会長、県保健福祉部長、民主党政策調査会副会長によって行われ、最後に栃木県独自の大会記念文採択がされた。
これらの動きは、世界、日本、地方が同時にリンクしながら社会福祉専門職関係者が一体となってソーシャルアクションを本格的に胎動させはじめた象徴すべき年を意味しているといってもよいだろう。
この動向の中で特筆すべきことは、
第一にソーシャルワーカーとは何をする人かを「虐待」にフォーカスを当て、国民に目に見えるようとしたことである。
第二に虐待に関するタテ割りの政策・制度を総合化するために「虐待防止基本法」を提唱したことである。
第三に地域に顕在化する課題に対してソーシャルワーカーの実践の内容が見えるように各都道府県段階で取り組みを開始したことである。
この三つの行動は、2000年以降の社会福祉基礎構造改革で提示された新しいシステムを問うことを意味している。わが国の社会システムは、2000年以降、少子高齢社会、経済のグローバリズムを背景として形成されたが、社会福祉システムも新たに市場原理を加えて社会保険制度をはじめ社会福祉法、介護保険法、障害者自立支援法、生活保護制度等のシステムが形成された。
一方、この10年間に虐待、孤独死、自殺等が著しく増加し、貧困の拡大と深化は止まることを知らず、その新しいシステムを支える政策と技術のあり方が根本的に問われ、改革の有効性が奥底で問われ始まったといってよい。
ソーシャルケアサービス従事者研究協議会は、
①専門職団体、
②学会、
③教育校
の三種の組織が合体した組織である。
その三つの組織体の価値と政策は、現代の社会保障・社会福祉の課題解決のために相乗効果を発揮しはじめており、国、自治体の福祉政策に本格的な影響を与える専門家集団に発展する可能性を秘めている。
協議会を構成する各組織と都道府県の各専門職団体の真価が問われる時代である。

2010年8月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第68号
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2010.08.24 Tue l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
平成の市町村大合併が、平成22年3月末で一段落を迎える。
平成10年度末と比較すると、市は670から786へ増加し、町は1994から757へ、村は568から185へと大幅に減少し、合計すると3232市町村から1727市町村へと大幅に統合化された。
この合併のなかで、市町村の財政格差、一部自治体の財政破綻、福祉行政格差もきわだちはじめている。
これからの人口減少社会、少子高齢化の一層の進行を考えると、子育て支援、障害者支援、介護高齢者福祉、生活支援対策のあり方は、一層重要性を増している。
その具体的な姿は、市町村の社会福祉計画の策定状況とその内容に表現されるといってよい。
この各種社会福祉計画には、法律で策定が義務付けられているものと任意計画との二種類がある。
義務計画としては、
①地方自治法による「総合計画」のなかでの社会福祉部門計画
②「高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」
③「次世代育成支援行動計画」などがある。
任意計画は、
①「児童福祉計画」
②「障害者福祉計画」
③「地域福祉計画」などがある。
また、関連のものとして、市町村社会福祉協議会が策定する「地域福祉活動計画」がある。
これらの任意計画は市町村間の格差が大きく、例えば「地域福祉計画」などは、19年度末現在で、市の57.2%、町村の23.5%でしか策定されていない(厚生労働省HP)。
そこで提案がある。
会員は、それぞれ居住の市町村において、これら社会福祉計画の策定状況を点検して、市町村の計画策定に積極的に参加することを期待したい。
例えば、会員の中には、県社会福祉協議会の理事として長年参加し、「地域福祉活動計画」策定委員会へ参加したり、県の地域福祉計画策定支援委員会などに参加されてきた方々が少なくないと思われるが、肝心の自分が住む市の行政や社協の策定委員会には参加した経験がなかった会員が多いのではなかろうか。
ところが最近、市の広報で「次世代育成支援行動計画」委員をはじめかなりの委員会で公募委員を募集している市町村が増えているので、会員は公募委員の応募に積極的にチャレンジしてみてはどうだろうか。
長年の実践と理論を深めてきた会員の貴重なキャリアを積極的に地域社会の発展に寄与することは、本会のNPOたる目的を実現する絶好の機会と思われる。
今、鈴木五郎会長は自らが絵に描いたようなモデル実践を流山市で果敢に展開中である。
その際に留意すべき事項は、参加する際の視点として、
①事前にインターネットなどで、法律や最新の行政通知をよく点検学習しておくこと、
②月刊福祉や季刊社会福祉研究などの専門誌などで先進市町村の情報をよく学習しておくこと、
③現場の経験などを十分整理して反映させること、
④会員のネットワークを活用して情報を豊富にしておくこと
などの準備が大切である。
計画によってはときによっては、国のマニアルそのままだったり、シンクタンクに丸投げして主体性のないものがあるので、当該市町村のニーズ、実態を反映したものになるように本格的な提言をする必要がある。
市町村の各種計画の最大の弱点は、
①住民が参加した計画策定作業の総合調整、
②住民と協働した事業の実施方法、
③住民が参加した計画の運営方法及び進行管理のあり方である。
市町村が策定する計画の多くはややもすれば市町村職員によって対応できる労働量の範囲内に限定され、多様な住民ニーズに的確に応えるためには、住民参加による住民の自主的な実践が不可欠と分かっているのに、日頃、住民から多様な要求を迫られているために、住民と協働することに最初から腰が引けている限界があるといってよいだろう。
それだけに、住民の立場、実践者の立場、研究者の立場を保有している会員の力は重要な資源といってよい。しかも会員の豊富な全国的なネットワーク資源は、無尽蔵に埋蔵されているといってもよく、これらの力をミクロからメゾへ、そしてメゾからマクロな世界に連続して繋げることができるのは本協会の固有な隠し財源というべきであろう。

2010年6月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第67号
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2010.06.29 Tue l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (1) トラックバック (0) l top
今、社会福祉法人には、国民から二つの大きな期待が寄せられている。
法制度に基づく質的に高い福祉サービスの提供と、法制度外の福祉ニーズへの積極的な対応である。
現在、わが国には増大する失業率、ワーキングプアの若者と貧困な高齢者の増加、年間3万人を超える自殺者、さらには42万人の介護難民の存在、地域で多発する障害者虐待、児童虐待、DVなど、生活の孤立化に伴う孤独死や施設での焼死事件の増加など、毎日、マスコミを賑わしている。
これらの増大する福祉ニーズに社会福祉法人は何をなすべきか。
今、社会福祉法人数は1万8千を超え、施設は約10万ヶ所、定員は330万人、従事者は約80万人に達している。
施設は平均すると1市町に57ヶ所が配置され、国民の3.5人に1人が毎日これらの施設を利用している。
地域の福祉ニーズに最も身近な機関が社会福祉法人なのである。
社会福祉法人の歴史の背景には、石井十次に象徴される先人達の先駆的、開拓的な法定外ニーズに対する実践がある。
この実績から行政での対応が困難な福祉課題に対応するため、特別公益法人として社会福祉法人が生まれたのである。
憲法89条の「公の支配」のもとで、民間に公費が助成される意味は、実績が「公」と認定される限りと再認識すべきである。
現代の社会福祉は、福祉原理と市場原理のハイブリット原理に支えられ、「官・民・共・私」の四者によって福祉サービスが担われることになった。
そこで求められる価値は「公益」であり、「官・民・協・私」のための「益」ではない。
市場原理の導入による規制緩和は貧困ビジネスを生み出すなどの弊害も多発しているが、四者の目指す価値は「公」なのである。
そこで行政と社会福祉法人の両者に提案したい。
まず、行政には、国、地方自治体は、社会福祉法人が本格的な「公共性」を発揮できるように、制度外ニーズに柔軟に対応できる財源保障を提案したい。
第二に社会福祉法人の事業支出には、地域の団体育成やNPO法人の創設、国際的な福祉活動等々に対し、資金や人的な支援等の幅広い用途を認めるべきである。
第三に「公共性」の実現は、ヒトによってのみ担保されうるものであり、福祉専門職の任用と育成に関する抜本的な見直しが必要である。
例えば、福祉専門職の雇用を常勤換算という非正規雇用システムに変え、「公共性」の担い手を解体した事実の見直しである。
この流れは一方では、有為な介護人材の深刻な不足を招き、他方ではリストラされた労働者を安易に介護人材に向けるなど福祉労働力政策の貧しさを端的に示している。
法務省が福祉専門職を家政婦や掃除夫と同職種に見なし、外国籍者が社会福祉士・介護福祉士を取得しても就労できない仕組みも同根である。
日本の大学にアジア各国から社会福祉を学ぶ学生が増加している今日、速やかな改正が望まれる。 社会福祉法人に対しては、法定制度・制度外の福祉ニーズに対し、地域を支えるソーシャルケアの総合的な拠点の役割を期待したい。
第一には、経営理念を「公共性」の実現を基本とし、ケア憲章(倫理綱領)を、国、地方自治体、法人、福祉専門職で共有するシステムを提案したい。
第二に法人の経営・運営に職員の参加を図り、国家資格者を計画的に任用し、キャリアアップシステムを創り、職員が公共性の実現を第一義とするような人材の養成環境の整備を期待したい。
また、社会福祉法人の特別公益法人の性格から世襲制は避けるべきである。
第三に住民・当事者・地方自治体と協働するシステムを創り、細やかな情報公開と地域に住民や当事者参加の第三者評価機関の常設化も重要である。
行政と社会福祉法人の対等な関係の協働作業から、日本の社会福祉法人を世界やアジアのモデルとなる機能集団として育てることを期待したい。

2010年04月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第66号
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2010.04.26 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
社会福祉士養成のカリキュラムが20年ぶりに改定され、21年度から新しいテキストが使われている。
筆者も大学で10数年「社会福祉原論」を担当しており、本年も改定されたある出版社の「現代社会と福祉」を使用している。
このテキストは、これから社会福祉専門職(ソーシャルワーカー)をめざそうとする若者たちへ福祉の基本を教える教材として、果たして適切なものなのだろうかと疑問点がたくさんあり、この1年間の授業に悪戦苦闘してきた。
しかし、こうしたテキストから国家試験の問題が出されるのかと思うと勿論無視することはできず、内容の半分ほどは自分のレジュメで補ってきた。
それでは、新テキストの何が問題なのか。
第一は、
日本のこれまでの現場実践や歴史を反映したテキストづくりがまったく行われていないことである。
我が国の社会福祉事業には、明治期以来、数多くの先人たちの素晴らしい実践や研究のなかで明らかにされてきた思想や技術の蓄積がある。
第二次世界大戦後についても勿論である。
ところが、そうした歴史はものの見事に無視されている。
例えば、「福祉の思想と哲学」の章は、いきなり「市場の論理と倫理」、「ロールズとセンに学ぶ」という節から書き出されている。
私は毎年、明治期の慈善事業や昭和戦前の社会事業実践の思想、戦後の糸賀一雄やその他の人々の哲学、また朝日訴訟やハンセン訴訟判決の意味を学んでもらっている。
また「福祉サービスと援助活動」の章は、突然「バイスティックの7原則」から始まっている。
社会福祉援助の基本である社会福祉は人間をどうとらえるのか、社会生活における自律・自立生活の支援とは何かということを説明したうえで、援助の方法やあり方を我が国の実践のなかで明らかにされてきた思想や知識・技術を踏まえて説明されるべきではないのか。
バイスティックの理論は、あくまで参考として掲げるべきであると思う。
また欧米の福祉はもちろん経済、社会、哲学等の学問の成果をその国の時代背景の説明を抜きにして、いきなり切り貼りして引用するという学問的な手続きの省略は、あまりにも若者たちをないがしろにしているといえるのではないだろうか。
第二は、
「社会福祉原論」あるいは「現代社会と福祉」という基礎的なテキストなのに、なぜ目次に社会福祉事業という言葉が一回も出てこないのか。
社会政策、福祉政策、社会福祉政策という用語で政策の重要性が一貫して説明されているが、政策論は社会福祉の実践を豊かにする限りにおいて意味を持つのである。
したがって、これまでの実践の課題を包摂し、実践に方向付けを与えない政策論の展開は意味があるのだろうか。
誰のためのテキストであるのか、私たちが養成しているのは、現場実践にかかわる社会福祉専門職(ソーシャルワーカー)である。
かつて社会福祉基礎構造改革の評価で、我が国を代表する社会福祉研究者が、社会福祉学が社会福祉政策の形成にほとんど影響を持てなかったことを反省し、学会誌でその総括が公表されている。
研究者が政策に影響を与えることができなかったことの本質は、政策、研究、実践がリンクしていない我国の社会福祉学のあり方に本質がある。
研究実践に裏打ちされない政策論を学生に求めてどうするのだろうか。
日本の現場実践の歴史を省いた政策論の展開はまったく観念的としかいいようがない。
第三は、
テキストのなかで先人の豊かな実践から紡いできた言葉を大切にしてほしいと思うことである。
社会福祉という対人援助の仕事では、究極には人が生きることを支える言葉が最高の武器になると考えるからだ。
子どもや老人が発する言葉をどのように受け止められるか。
そしてワーカーがどのようにこれらの人々と生きる力を分かち合う言葉を返せるか。
この言葉の本質を踏まえた上で、テキストで使用する用語も日本語にして概念を明確に使うことを心がけてほしいものである。
明治期に欧米の学問や経済、法律用語などを怒涛のごとく輸入したときに、明治の人たちはすべて国語(漢字)に置き換えた。
それが日本の近代化の基礎になった。
医師は患者にかならず日本語で病名を告げる。
社会福祉では、あまりにもカタカナ語が氾濫しすぎている。
社会福祉学が、言葉の大切さや外来語の日本語化に鈍感でありすぎるのをまことに憂えざるをえない。
今回は時間の関係から各編者とも編集作業に限界があり、十分なものにする余裕がなかったと思われるが、今後、社会福祉教育の土台となる「現代社会と福祉」「社会福祉原論」をもっと大切にすることを望むものである。

2010年02月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第65号
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2010.03.08 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (2) トラックバック (0) l top
毎日100人の人間が自殺している。
1998年以来、毎年、自殺者数は3万人を超え、今年で30万人を超える中核市の人口が消滅したことになる。
人間の生涯所得は、正社員でおおよそ3億円とされているが、この3万人の人々が生き抜いたとして仮定した所得(逸失利益)を推計すると、国立人口・社会保障問題研究所は、1998年から10年間で、22兆1200億円の生涯賃金所得が失われたと試算している。
わが国は平成時代に入ってから、バブル経済崩壊後の長引く不況、企業のリストラによる失業や若年者の引きこもりやニートの増大、競争社会やストレス社会の深化、非正規雇用労働者の派遣切り、長時間労働の常態化、様々な介護・離婚・暴力などの家庭問題、複雑な人間関係、凶悪事件の続発等、世の中全体に漂う閉塞感、不安感等から社会全体が鬱化し、「第二の敗戦」とも指摘されている。
自殺問題の本質は人間の生存の基盤である経済的基盤の崩壊に端を発している。
社会構造の歪みから派生する社会問題である。
失業率と自殺率に強い相関率があることを厚生労働省の統計は示している。
また、ある地方自治体は企業倒産件数と自殺率が強い相関があるとも報告している。
NPO自殺対策センター(代表清水康之)では、自殺の背景には
①労働問題②経済問題
③人間関係問題
④健康問題
の4つの危機が複雑に「連鎖」した結果と分析している。
具体的には、雇用問題、経営問題、連帯保証責務問題等をきっかっけとして、職場や家族との人間関係に不和が生じ、その結果、心身の健康のバランスを失し、その状態に何らかの動因が加わって自殺が引き起こされるとしている。
平成21年(2009)は、過去最高の自殺者を出すのではと心配されている。
人口10万人当たりの自殺者数は、ロシア(34人)日本(24人)仏(13人)独(13人)米(11人)伊(7人)英(7人)と、世界の中でも日本は突出し、米国の2倍、英国の3倍である。
戦後の高度経済成長期を経て経済大国と言われ、物質的に豊かな時代になってから、何故このような自殺大国になってしまったのか。
わが国では長い間、自殺は「個人」の問題として片付けられ、その原因や実態についても秘匿的、閉鎖的に扱われてきた。
しかし様々な調査分析からその背景には複雑な社会問題が絡んでいることがわかってきた。
柳田邦男は小泉構造改革路線で強調された政・官・業が癒着し、行き過ぎた市場原理主義と自殺は相関していると分析している。
国もようやく平成18年(2006)に「自殺対策基本法」を成立させ、平成21年(2009)から3年間で100億円の「地域自殺対策緊急対策強化基金」を拠出することになった。
しかしその対策は、自殺が4つの要因の「連鎖」の結果であるのに、相変わらずの縦割りで、とても包括的対策として機能するとは思えない。
そこで提案がある。
自殺要因の「連鎖性」に着目して、
①雇用労働
②経済融資
③人間関係
④心身健康問題
を扱う4つのすべての機関に、「自殺予防相談部門」を新たに設置してはどうか。
自殺者の75%が、事前に何らかの機関に相談をしているが、それら機関同士の相互の包括的な連携がないために、この「連鎖性」に的確に対応しきれていない実情がある。
このため「法」と「基金」は包括的な介入機能を図るシステムを構築する必要がある。
とりわけ、国、地方自治体はソーシャルワーク機能を社会の統合を高める専門技術という側面を再評価し直すことが重要である。
このため、ソーシャルワーク専門職を、「連鎖性」を断ち切る各雇用、経済融資、各種相談、保健医療の4つの領域に任用、配置する具体的な対策を講じる必要がある。
これまでに個人に焦点を置いた電話相談に大きな成果をあげている静岡の「いのちの電話」などのすぐれた民間の相談活動をはじめ、社会環境の変革や包括的な相談・権利擁護・ネットワーク機能を展開しつつある保健・医療・福祉・教育・司法等におけるソーシャルワーク活動などを連結することが急務である。
ソーシャルワークは人間の生きる力を支援する専門技術だ。
自殺、虐待、DV、高齢者、障害者の犯罪などに通低する共通点は絶対的、相対的な貧困問題である。
OECDに指摘された世界のワースト国であるわが国の貧困の本格的な解決の行方が自殺予防・解消に直結し、国、自治体のソーシャルワークを活かす政策の導入は極めて重要であることを提案したい。

2009年10月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第63号
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2009.11.08 Sun l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
「ファシズムは美しい言葉とともにやってくる」とは作家なだいなだの言葉だが、社会福祉になぞらえれば「市場原理主義は、社会福祉を美しい言葉で彩ってやってくる」と言えなくもない。
かつて社会福祉基礎構造改革で喧伝されたキィワードは利用者中心、自己選択のできるサービスの充実、権利擁護、地方分権、自由な契約等々であった。
その具体化は、2000年度以降の「介護保険法」「社会福祉法」「障害者自立支援法」に集約されている。
社会福祉の一般化、普遍化、権利擁護、福祉サービスの選択・利用などのキャッチフレーズが並べられ、福祉が大幅に前進するかのようなイメージを国民の多くは抱いた。
介護保険発足当初の予算額は3兆円であったが、09年には7兆円にも達しようとしている。
このため、2006年の改正は、介護認定基準を変え、要介護から要支援という予防給付の認定基準を新しく設けるほか給付回数を減らすなど給付費の削減システムを導入した。
介護保険料は65歳以上の高齢者の年金から待ったなしで天引きがはじまり、介護費用の10%の応益負担に加えて、住宅費と食費のいわゆるホテルコストの徴収が別立てになり負担が一段と重くなった。
一方、施設サービスは、全国的に特養の待機者が大量に発生し、今や40万人を超え、待機期間も2~3年が普通の事態となっている。
介護保険施設の定員は65歳以上人口の3.5%程度とされているが、その施設整備達成率は60%前後である。
介護保険料の値上げは行財政負担に直結するために、全国的に市町村で施設整備の抑制が行われている。
東京都が群馬県渋川市にある無届けの有料老人ホームの「たまゆら」に被保護世帯の高齢者を中心に他県にアウトソーシングして10数人の焼死者を出したのもこの文脈にある。
かつて、今後、老人ホームに入るのは東大に入るより難しくなるとの冗談がささやかれていたが、待つだけではなく、その間に無念のまま亡くなる高齢者は膨大な数を数え、介護づかれによる家族内殺人事件の多発化を考え合わせるとなべて関係者は「緩慢な社会的殺人事件」を黙認しているといってよいだろう。
「民間保険」というのは、生命保険や自動車事故保険のように「自由契約」による自助責任の保険料に対応して給付が保障される仕組みだが、社会保険としての介護保険は、高齢者本人、40歳以上の国民、事業主、国、県、市町村が協働していわゆる、自助、共助、公助を組み合わせ、介護の社会化を目指した勝れた日本的なシステムである。
しかしながら、近年、被保険者がいざ要介護になり、給付を受けようとする段階になると、給付が受けられなくて我慢をしいられ、保険料だけ完璧に徴収され、行政は需要をコントロールする要介護認定方法と給付費制限の仕組みの確立に集中し、その範囲内においてサービス給付と責任は、利用者と事業者の利用契約の問題にしようとしているかのようである。
仕組みの持続のために国民が存在するのではないのだから、これではまるきり国民は浮かばれない。
福祉の普遍化とか利用契約という美名の裏の行き過ぎた市場原理主義を超え、国民の介護ニーズの実態に的確に対応した世界に誇れる介護保険システムの確立に向けて、関係者は声を大にし、介護保険制度の改革運動を提起するべきである。

2009年8月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第62号
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2009.09.16 Wed l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
学生の福祉離れはどこから始まったか、誤解を恐れずいえば、それは介護保険報酬の見直しや「障害者自立支援法」から始まったといえるだろう。
森田実氏(政治評論家)が08年発行の「脱アメリカで日本は必ず甦る」という本のなかで「障害者自立支援法」について触れている。
2008年からの世界経済の混乱と日本経済の厳しさのなかで日本国民の生活水準の低下と福祉の崩壊、格差拡大は小泉構造改革が直接の原因であり、その典型を「障害者自立支援法」に見ている。
「障害者自立支援法」の制定はその苛酷さと欺瞞性において特筆すべきで、その「自立支援」の美名とは逆のきわめて非人道的な法であると糾弾している。
実際に千葉県のS学園(入所施設)を例にして、障害程度区分によって地域生活の基盤がない中で仲間たちが見知らぬ土地に追い出され、知的障碍ゆえに近所の人たちから白い目で見られ、さらに賃金よりも高い負担金を負わされている、これは「弱者の切り捨て」だと指摘している。
師康晴氏(社会福祉法人杜の会理事長)は自著の「出会えてよかった」(06年)-絶対的差別の解消-の中で、この法律の問題点を、
その第1は福祉サービスを利用することを応益と称し、利用者に1割負担を課して障碍者が社会のなかで当たり前に働き、暮らし、遊ぶ世界を狭めた。
第2に事業者への支払い方法の月額制から日額制への変更は事業所の収入を減少させ、結果として職員雇用に深刻な事態をもたらした。
第3に障碍程度区分に介護保険の認定基準を7割も導入したことで身体障害機能が高く出て、知的障碍の人たちの事業所は総じて軽い結果となり、事業所収入の激減により福祉を志す若者は減ったと指摘している。
それでなくとも福祉関係の給与水準は低く、更に総収入が下がるのであるから福祉を目指す学生が減ってくることは容易に予測されるとも述べている。
国の福祉抑制策は介護保険報酬の見直しや「障害者自立支援法」に典型化され、以後、福祉系大学の卒業生であっても福祉以外に就労する学生が目立つようになり、養成校に高校生が進学しない状況が生まれていった。
各養成校とも定員充足率が低下し、学科の再編をもとより、180余校のうち7校に1校は経営が困難になると関係者の間でささやかれている。
かつて措置制度から支援費制度に変わったとき、施設訓練支援費の他にグループホームやガイドヘルプなど地域生活支援費が制度化されたことは高く評価された。
ある法人の理事長は、自分の施設の例で、ガイドヘルプ事業は05年度までの支援費のときは年収が6,000万円であった。
正規職員は6名、ヘルパーを40人ほど抱える事業所であり、多動など重い人たちもガイドヘルプを使って街の中で活動できた。
しかし06年度の「障害者自立支援法」制定後は単価が急落し、年収が2,400万円になってしまった。
やむなく職員を減らし、対応の難しい人は受けられなくなってしまった。
この法律は外に出ることが必要な人たちを在宅にして「引きこもり」にしたと語っている。
今、早急に改善されるべきは、障碍者から自己負担金を徴収しないこと、事業所収入は月額制に戻すこと、知的障碍程度区分は支援の必要性に応じた仕組みにすることなどである。
今年度は、衆議院選挙の年、障碍者をはじめ子どもや認知症など最も傷つきやすい人々にとって社会保障・社会福祉システムのこれからのあり方が最も論議されるべき年である。
この国がこれらの人々が生きやすい国づくりを目指しているか、福祉を目指す学生や職員が誇りを持って働き、夢がもてる社会を目指しているかどうか、最も問われる年である。

2009年6月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第61号
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2009.09.15 Tue l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
米国のD・グロスマンは、「戦争における人殺しの心理学」の中で、素手の殺人からナイフ、拳銃、ライフルと抵抗感がなくなり、砲爆撃となると殆ど抵抗感がなくなると分析している。
すなわち殺人の抵抗感は兵士から対象までの距離に反比例しているといえる。
この心理は、あらゆる政策をたてる者の心理にも共通しているように思える。
政策という言葉は、これまで政治家が国家運営に関する行動方針を意味していたが、現在では、マクロには国家、メゾには企業をはじめとするあらゆる組織体、ミクロには個人、家族、友人の間でやりとりされる行動方針の意味で幅広く使用されている。
政策という意味を人間の行動を規定したり、操作する武器に例えれば、グロスマンがいうように政策対象との距離感がある場合には、その影響の結果に対しては殆ど抵抗感がなくなるといえる。
現在、進行中の社会経済的な課題をマクロ的に分析すれば、行き過ぎたグローバルな市場原理主義は、世界に未曾有の経済不況を引き起こし、メゾ的には企業における膨大な首切りや派遣切りをもたらし、ミクロ的には自殺、家庭内暴力や虐待などを多発させているなどの要因の基底にはそれぞれの領域における政策を推進する者の対象への「距離感」に相関しているように見える。
ところで先日、群馬県市渋川市で起きた無届の有料老人ホーム「たまゆら」で起きた10人の高齢者の焼死事件はこれらのマクロ、メゾ、ミクロの領域でこの施設の利用を容認した者と焼死した高齢者との「距離感」がもたらした事件であろう。
東京都から他県に委託した生活保護受給者である高齢者の数は14区で261人と報道され、焼死者の大部分が被保護世帯であったことが注目されるべきである。
被保護世帯の多くは複雑な生活過程を営み、家族や友人も少なくその代弁者は必ずしも多くはない。
それだけにこれらの人々はあらゆる人々から最も「距離感」が遠い存在になりがちだ。
報道によれば、
①現地を確認し、大丈夫だと判断した。ただ、防災施設など法令上の面まで確認しているわけではない。
②全国に散らばる施設を徹底的に調べるのは困難。
③1人では生活が難しい困窮した高齢者は他の施設は受け入れに難色を示す。
④火災現場には、区職員と県議以外の花は見かけられなかった。
⑤夜間の徘徊を防ぐのに戸につっかえ棒を立てかけた。
⑥県が調査する矢先であった。
などと言及されているが、どれも焼死者が距離感のある存在であったことが窺われる。
これまでにこの施設の問題をいち早く指摘していたのは、地域の住民であった。
数年前に「入所していたおじいさんが口から泡を吹いて倒れていた。」ことを施設に連絡しても救急車がくるまで職員が来なかったことなどが語られていた。
このような無届の有料老人ホームが増加する背景には介護施設入所への待機者が全国で約40万人と推測される過酷な現実がある。
カフェ難民をはじめとする貧困ビジネスが横行する由縁であるが、米発の貧困階層を対象としたサブプライムローンの破綻の構造に相通じるものがある。
いずれも貧困や最も傷つきやすい少数者への「距離感」の遠さが、人間の感性の無機質化を招いたといわざるを得ない。
事件直後に担当者が「事業者と利用者の対等な契約」だから、やむを得ないとテレビで報道されていたが、鳴り入りもので喧伝された利用者と事業者の「対等な契約」という大義は幻想であったことが炙り出された。
北九州市の餓死事件、年金問題、後期高齢者医療制度、障害者自立支援法、介護保険法などで指摘されている一連の課題はマクロ、メゾ、ミクロの領域における政策を発信する者と対象との「距離感」を示すものである。
自らの死と引き換えに仲間のために「つっかえ棒」を外そうとした高齢者の思いを掬いとる政策心理が内面化されるべきである。

2009年4月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第60号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved
2009.09.10 Thu l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
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