上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
労働力を商品とする市場経済社会にあっては、ともすれば、人間の価値そのものを労働力によって評価しようとする。
経済のグローバル化、高度な産業化が進む現代社会で絶えず要求されるのは、いかにして能率を高め、生産性をあげるかである。
それゆえ、労働力としての商品価値を持ち合わせる者には高い評価が与えられ厚遇されるが、商品としての労働力を持ち合わせないとか、たとえ持ち合わせていてもほんの少量であるとか、それが社会の求めているものと合致しない場合には、評価の低い人間、ときには価値のない人間として見放されてしまう。
弱肉強食、適者生存の原理のもとに自然淘汰の学説を唱えたイギリスの博物学者ダーウィンの生物進化論を、このように社会現象の中にもちこんだ理論を社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)という。
このような思想があらわれたのは、発展途上国にたいし先進国といわれる国々が行った植民地政策が進展し、工業化が進みつつあった19世紀とされているが、市場経済が発展した今日、ソーシャル・ダーウィニズムがふたたび姿を変えて頭をもたげている。
新自由主義、規制緩和のもとで社会構造・産業構造がきわめてドラステイックに変容して格差社会があらわになったわが国にあっては、一層その感を強くする。
ともすれば、商品価値としての労働力をもちあわせていない社会的不適合者としての烙印を押されがちな高齢者や障害者あるいは福祉サービスを必要とする者は、限りある国家資源を脅かすことさえあれ、社会に貢献する価値は希薄なものと断をくだされてしまうことになる。
それゆえに、ソーシャルワーカーの存在と力量がいっそう必要であり期待されるところである。
長期に亘り不況にあえいでいた日本経済が、昨年の政権交代を節目に俄かに株価も上昇に転じ、景気も活況を呈してきたかの感があり期待感も膨らんでいる。
これを契機に広く国民の生活に少しでも潤いが生じれば喜ばしいことであるが、まずは企業の収益好転が優先され、その後の状況を判断してから人々のふところが潤うという図式になっている。
しかしこれから先には消費税の引き上げや、インフレによる景気回復のためと称し物価の2%上昇も見込まれており、厳しい雇用条件を強いられている多くの非正規雇用者や年金生活者にとっては喜んでばかりはおれない。
ひよっとして、これらがもとでまた新たな格差が増幅されはしまいかとの懸念も抱く。
生活保護受給者も210万人を超した、ところが政府は生活扶助費の削減を盛り込んだ2013年度の予算案を提示した。
これに関しては日本ソーシャルワーカー協会を含む社会福祉専門職団体協議会(社専協)が、削減理由に根拠がないことを明示し一致して反対声明を国会に届けた。そんな折に、兵庫県小野市は生活保護受給者が保護費をパチンコなどのギャンブルに浪費している姿を見かけた市民に情報提供を求める「福祉給付制度適正化条例」を4月1日から施行した。
たしかに各種マスコミが伝えるように生活保護の不正受給や保護費の使途方法について多くの問題があることは事実ではあるが、条例に関しては賛否両論があろう。
善良な市民がこの条例に従ってスパイもどきの監視の目をひからせている姿を想像するだけで多くの人は複雑な心境に陥るのではないか、ましてソーシャルワーカーの一員として考えさせられることが多い。
社専協が一致しておこしたソーシャルアクションも我々の務めであるが、なによりも日々生活困難に直面している人々に寄り添い自立支援するのがソーシャルワーカーの責務である。
複雑で困難な事情をかかえた福祉現場で奮闘している優れたワーカーの働きをよく知っているが、それでもなお市民の監視の目を必要とする条例は、専門職たるソーシャルワーカーの存在、力量に問題ありとする警鐘と解すべきなのか。

2013年4号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第84号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved


スポンサーサイト
2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
2012年の最後の月となり、一年の振り返り、新しい年や年度のあり方などを考える時期となった。マスコミは連日、衆議院の解散から国政選挙、日ごとに変化する政党の離合集散の話題をくり返し伝えている。
我国の政治のトップが入れ替わろうとしている今年は、我が国に直接的な大きな影響を及ぼす周辺国や大国のトップが入れ替わった年でもあった。
新しい年において、これらの新しい政治家たちの下で、つつましく平和な生活を望む国民一人ひとりの生活が左右され、翻弄されるであろうことは誰もが認めざるを得ない事実である。
社会を見わたせば、ノーベル賞やスポーツの活躍などの嬉しいニュースがある一方で、暴力や殺人、いじめや虐待、自殺などのニュースが後を絶たない。
海外では、飢餓や飢え、貧困や災害に苦しむ多くの人々がいる事実を尻目に、内戦や軍拡に力を入れ、領有権をめぐってお互いを威嚇し、ミサイルまでも飛ばそうとしている。
国益や国の威信という大義のもとに、トップの意地のぶつかり合い、力による威嚇、また意図的とも言えるプロパガンダによって他国のイメージを傷つけ、しのぎを削る様子は、家族を愛し平和に暮らしたいと望む冷静な国民に、どれほどが支持されているのかと疑いたくなる。
本当に、テレビでトップが語る社会や国のあり方が本当に正しいのであろうか。
本当に、政治の実権を握る人達の言う政策を信じ、我々の社会や人類の未来を託してもいいのであろうか。
人類の平和を考え人材を育てる手段であるはずの教育が、他国の悪いイメージや敵意を植え込む手段となっていいのか。
一人ひとりの理解に貢献すべきマスコミが、刹那的な娯楽番組や単なる扇動の手段であっていいのか。
世界は確かに、言葉の壁や地理的な距離によって、それぞれの国民が分断されている。
しかし、たまたま生まれ出た国の教育や報道によって意識が左右され、平和を願っているはずの無欲な人たちが武器を取り合い、戦い、命を落とさなければならないのか。
人類は、いつまで同じ過ちを繰り返すのであろうか。
これまで我々人類は、あまりにもトップの人間に期待し過ぎたのではないか?
桃太郎や黄門様のような善良な英雄によるマジックのような世直しを夢見すぎたのではないだろうか。
政治のトップに対する期待や夢は、テレビのヒーロー・映画スターにあこがれ、自分を投影して我を忘れる子供・若者の姿と同じではなかったのか。
そのような漠然とした期待や委任が、人類の歴史を戦争の歴史に塗り替えてしまったのではないのか。
力のある者とない者、影響力のある者とない者、政治家と国民、中央と地方、既得権のある者とない者、知るものと知らない者、できる者とできない者、いろいろな人間がいることは誰でも分かる事実である。
しかし、これらの人間や集団間にある大きな影響力・豊かさ・権限の乖離は埋めがたいほど大きな溝である。
おそらく、どの歴史においても、後者は前者に力には反論すらできず、その意図に従わされ、その言葉の下に忍耐を強いられてきたであろうことは想像に難くない。
どの歴史書も、前者を中心書かれていることからも、その格差は明かである。
これまで人類が、政治家や権力者に期待し委ねてきた政治的原理に基づく平和社会づくりの手段には、大
きな欠陥があり限界にあることは明かである。
今後一人でも犠牲者を減らすために、権威に期待し委任するのではなく、新しい原理・方法を構築しチャレンジすべき時に来ている。そのために我々は「ソーシャルワーク」という旗の下に集まっている。
幸い我々には、多くの実践理論や実践例があり、加えて、歴史の中には、偉大な先達(例:ガンジー、キング牧師、マザーテレサ等々)も多くある。
人間や社会の「Well-Being」「人権」を考え「社会変革」を標榜する個人(団体)として、これらの先達にならい、すべての権威や壁を越え、自由な視点を持った一市民(ソーシャルワーカー)として、世界の志を同じくする仲間たちと手を取り合い、内外の問題に真剣に取り組むべき時であると考える。

2012年12号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第82号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved

2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
先月9月東京で開催された恒例の社会福祉公開セミナーは、社会福祉関連学会の一翼を担う日本ソーシャルワーク学会との共催によるものであった。
現在わが日本ソーシャルワーカー協会は福祉4団体の職能団体と位置づけられている。
学会と職能団体が共催でセミナーを開催することは他ではあまり聞かない。
日本ソーシャルワーカー協会の創設は1959(昭和39)年であり、当時は福祉関連の学会も少なく職能団体も殆どなかったので、その頃の協会は学会と職能団体を併せもった役割と機能を果たしていたともいえる。
その後協会は諸般の事情により活動が中断された時期もあり1983年に再建されたが、当時事務局長として懸命に協会を支えて下さったのは筑前甚七先生であった。
今ではそのお名前を知る協会員も多くはないであろう。
久しぶりに書斎を整理していると先生がお書きになった、あるソーシャルワーカーのエッセイと副題がついた「デクノボウの挑戦」という著書が目についた。
自らを謙遜されて愚直で役に立たない者という意味のデクノボウという表現を用いられたが、ご本には協会とソーシャルワーカーの存立意義、使命、期待等々味読すべき先生の思いが散りばめられている。
また、再建後7年経った頃の協会員はおよそ2000人であったことも記録されている。
その頃と比べて福祉関連の学会や職能団体の数が飛躍的に増加した現在、専門化・細分化された学会や団体に枝分かれして所属し、その結果協会の会員数が減少したのは事実である。
しかし、かって学会と職能団体を併せもった役割と機能を果たしていた由緒ある協会である誇りと使命はこれからも保持しなくてはならない。
この会報の題字は同志社大学名誉教授の嶋田啓一郎先生の筆によるものであり、逐一お名前は挙げないが永年にわたり日本の社会福祉の主柱を支えておられた多くの著名な先達から貴重な教えに導かれてきた協会はいわば老舗
である。
しかしながら名門の老舗といわれた企業や団体が暖簾のみを誇り、奢り高ぶりが先行して倒産する例を引くまでもなく、常に協会が果たすべき使命を謙虚に振り返らねばならない。
先月の社会福祉公開セミナーでは、国によって様々な事情がありストックホルムで開催された今年度のIFSW総会でもソーシャルワークの国際定義については継続審議となった経緯が報告された。
しかしクライエントの最善の利益を守る立場を保持し行動するソーシャルワークの基盤においては共通部が多く存するはずである。
国際定義の作成に関わりご苦労下さっている関係者には敬意を表するが、協会の使命としても岡本会長が前号で明示された概念を基に一定の見解を提示する努力が急がれる。
定義がさだまらない間にもソーシャルワーカーの援助を必要とする様々な現場があり、その現場で苦悩する多くのソーシャルワーカーがいる。
ソーシャルワークの道しるべたる定義は崇高かつ普遍であるべきだが、厳しく複雑な現場ではときに高邁な原理や定義は文言のみが独り歩きしワーカーには空疎に響くこともある。
呪文のように高説を繰り述べるだけでは悩める若きソーシャルワーカーには届かない。
現に公開セミナーで「定義を具体的にどのように実践しているか」に関する報告が伝えられたが、会場から若き
ワーカーの見識の低さを叱責する意見が発せられた。
日頃の支援活動では原理や定義は深く意識されることはない、しかし困難事例に直面し右か左かを決するときに真価が問われるのである。
幸い老舗である協会には、先達からソーシャルワークの真髄を学び豊富な実践と経験を積まれた多くのワーカーがいる。
先輩ワーカーは国際定義についても積極的に提言する一方で、次代を担う悩める若きソーシャルワーカーに援助技法の奥義を噛み砕き、生の声と活きた言葉で伝える大きな責務がある。

2012年10号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第81号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved

2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
過日、ストックホルムにおいて、3つの国際会議が開催された。
116か国から2500名余の参加があり、盛会のうちに終了した。
今回のテーマは「ソーシャルワークと社会開発~活動とインパクト~」であった。
このところのグローバル化の進行と加速化する文化、宗教、価値観などの多様化、個性化によるダイバーシティ現象は混沌とした世界情勢の反映で、それらを彷彿とさせるソーシャルワークの研究実践報告が随所に見られた会議でもあった。
ところで、国際ソーシャルワーカー連盟の方では、2000 年に採択された国際定義をめぐって改訂・改革の声が提起されていたが、上記の情勢も含めて検討・吟味は先送りされることになった。
一方、国内で市販されている社会福祉の書物やテキストには、この国際定義が引用され、周知のものとなっている。
しかし、今ソーシャルワークは社会福祉のあらゆる領域において、その実質上の存在意義が根本的なところから問われている。
それはソーシャルワークの有用性と存在価値そのものを問う議論であると同時に厳しい評価でもあるといえる。
だが、残念なことにこの定義をめぐる議論は一部の関係者のみの検討に終始している。
別言すれば、日本のソーシャルワークが国際的な水準とは、大きな懸隔がるという認識なのか、それともこの定義に記述されている基本的枠組みを具象化していくことに困難があるとして認識されているのかは曖昧であり、これをめぐる提言や議論も不活発である。
学術会議では、すでにソーシャルワークが機能するために必要な社会システムの構築と造成についての提言を行っているが、反応は捗々しくない。
この背景には様々な要因が絡んでいるが、現場では、理論と実践との関係の整合性やフィードバックシステムのあり方が深く関係しているように思われる。
つまり国際定義のキーワードとなっている専門職、改革、理論の利用、個人と環境との関係等などに関する各国、各圏域ごとの解釈の相違があり、共通語でありながら、解釈の側面で凡そ共通認識に欠けている。
その背景には、一方におけるグロ-バル化による普遍化、共有化の動向と同時に、先述のようなにダイバーシティが加速度的に進行し、基本的枠組みをめぐるパラダイムが危機に瀕している。
さらに実践と理論を左右する実践的な科学の合意形成が難しく、ソーシャルワークの内部における共通性、等質
性、普遍性の深化を妨げている。
別言すれば、ソーシャルワークの近接領域に対する独自性、固有性、排他性を曖昧にし、実践活動が準拠すべき理論や科学に仕方について、「人間行動」と「社会システム」理論の応用に留めているところに大きな課題がある。このままでは過去1 世紀続いてきたソーシャルワークの科学化や理論化への努力を停滞させることになりかねない。
あえて誤解を恐れずに言及すれば、ソーシャルワークの理論と実践に通底する「実践的な研究方法論」が未成熟であることに起因すると考える。
つまり約1世紀余の間、ソーシャルワークの基礎理論は諸科学の知見と法則の応用に終始し、内発的、自生的な実践的研究方法論が生成・構築できなったことによるのではないか。
従って隣接諸科学に知見や法則に依拠する理論でソーシャルワークが組み立てられ、モデルとして現場実践に応用されていくのが一般的である。
この閉塞感や依存体質から脱却するためには、新たな発想を取り入れた実践的研究方法論の生成が希求されている。
それには、伝統的な応用科学としての研究方法、実践を科学化するアプローチ、利用者ニーズの論理化などを弁証法的に展開する方法とこれら次元の異なる成果を新たな発想、開発、発見、発明をもたらす「触媒」を通じて融合化する作業に取り組まなくてはならない。
こうした内なる努力によって今後は隣接諸領域に対して、寄与し、貢献できるようなソーシャルワークの新たな構築が期待されるところである。
この暴論ともいうべき提言について忌憚のないご批判とご教示を期待するものである。

2012年8号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第80号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved

2013.10.19 Sat l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
このところ社会福祉をめぐるニュースには、トラブルや不祥事など暗い情報が散見されるが、福祉業界全体が暗い話題ばかりで埋め尽くされているわけではない。
新しい年度は明るく夢と希望のある情報とともにレジリエンス(resiience復興・修復力)理論を基盤にして新たな活動・事業を創りだしたいものである。
今年は、年頭にも宣言(福祉新聞年頭所感・会報2月号P.3に掲載)したように「情報発信力の強化」に向けて色々なプログラムの実施を試みたい。
特に現場で日々実践されている営為の系統的蓄積の中から、「実践知」や「臨床知」を析出し、その成果を社会的に発信する助成事業を具体化することにしている。
すでにJASWのホームページ(HP)にも掲載している通り、社会福祉情報発信事業に対して、一定の基準に基づき助成金を拠出し、その活性化を促進する事業である。
多分会員の中には、貴重な実践や成果を数多く保有されていると推測されるが、これらを社会的に公開したり、発信したりする場と機会に恵まれていない方々も少なくない。
高度情報化社会にあって、ひとりソーシャルワーカーのみが沈黙を保持している姿は決してほめたものではない。
言わずもがなのこととはいえ、専門家は高度な知識と優れた技能、高邁な価値観と倫理観に裏付けされた存在であるが、今一つ重要な点は、専門職の語源である公言(profess)という言葉である。
つまり、専門家たるソーシャルワーカーは、自らの営為について責任を持って公言する責務を伴うものである。「物言わぬワーカー」を決めてかかる謙虚な専門家もいるが、「もの申すべき事態」に対しては、沈黙を守ることは、必ずしもほめるべきことではなく、積極果敢に社会的に発言することも専門家としての社会的使命でもある。
アカウンタビリティが取りざたされるが、これは説明責任だけではなく、結果責任を伴うものであり、それらを正当に遂行できることが専門家としてのソーシャルワーカーの極めて重要な社会的責任であるといわなければならない。
各地でみられる虐待問題、施設・機関における職員による暴行事件、セクハラなど不祥事に対して、ソーシャルワーカーの視点から社会的に公言する活動を活発化しなければならないと同時にこれらに対する体系的な予防防止策を開発、創生し、相互に共有し合うと同時に積極的に提言をしていくべきである。
これらの不祥事の背景には、福祉労働の在り方と関連諸条件について綿密な考察が不可欠である。
特にソーシャルワーカーの教育・訓練・養成・研修とも関連する課題として、ソーシャルワーカーは、肉体労働であるとともに優れた頭脳労働であり、かつ「感情労働論」であることの自己認識の側面を改めて取り上げるとともに「ストレスマネジメント」についても別の機会に取り上げたいと考えている。
(日本ソーシャルワーカー協会 会長 岡本 民夫)

2012年04号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第78号
Copyright (C) JASW All Rights Reserved



2012.07.23 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (1) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。