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人間は、両親がいてこの世に誕生する。
数名の兄弟姉妹のなかで助け合いながら、時には喧嘩をしたりして人間関係の基礎を学ぶ。
祖父母や叔父叔母、地域の大人との関係のなかで親も子も人間関係を学ぶ。
もちろん事情があって未婚である人、単親もいれば一人子もいる。
しかし、こうした昔なら当たり前の人間が育つ基盤としての家族は、現代の著しい社会経済の変動に晒されて軋みをたてている。
いまや殺人事件の約1,000 件の半数は家族内殺人であり、無差別な通り魔のような殺人が家庭の中にも侵入してきたといってもよい。
親は子供の保育園や幼稚園、学校の保護者会で知り合い、協働することで人間関係を学び地域社会を形成してきた。
しかし、限りなき効率を求める経済のグローバル化は、人口移動を激しく流動化させ、人々は相互に見知らぬ地域に住み、加えて子供を生まない、産めない故に、親同士が知り合い協働する機会も失われてきた。
これが地域社会崩壊の大きな原因といってよい。
その予兆は、生涯未婚率の限りない増加だ。
男性の3人に1人、女性の4人に1人が生涯未婚者となる。
豊かな家族や地域社会を形成できることが人間としての成長や喜びの原点であり、それを支えるのが新たな社会保障政策の原点と考えるべきだ。
戦後の日本の社会保障政策は家族と地域社会を強い「含み資産」と看做してきた。
しかし、人々は戦前に抑圧されていた個人としての自由を求め、利己的な「個人主義」も台頭し、選択肢の多様化
を進歩とし、自由がすべてだと走ってきた。
もともと政策と人々の意識の乖離は予測されていたが、案の定、政策が意図した「含み資産」は幻となった。
この意図は特定の階層に最大の利益をもたらすために、人々の意識を逆手に取ったものといえるだろう。
その証拠に、一方では国民全体の預貯金総額が1400 兆円に増加したものの、他方では、ギリシャの再現を思わせる800兆円の国の借金と生活保護基準以下で生活する者の1000万人を生み出しているのがその証左である。
このように家族や地域社会の基盤を崩壊させ、富める者とワーキングプアを明確に二極化し、格差社会の深化を齎した責任は誰が負うベきなのか。
すべての人々の責任とはいえ、政策決定者の責任は特に重い。
このままでは、さらに人々の精神の荒廃化と、社会の崩壊を予測せざるを得ない。
人間の原点は家族にあり、今も昔も、人類が培ってきた世界が共有する普遍的な原理であることを国づくりの基本として構想する必要がある。
国がいま最優先すべき政策は、豊かな家族形成支援のパーソナルなハードとソフトに関する政策である。
先進諸国の家族支援の対GDP予算が3%~4%に比して、日本は僅か0.8%である。
特に、保育所の整備や育児休業の補償、拡大策、保育料や教育費の負担軽減、子どもの医療費の無料化など人生前半期に対する社会保障政策の充実である。
若者たちが安心をして子供を産み育てられる新たな社会づくりが喫緊の課題である。
社会福祉事業の世界では、低所得や児童、障害、高齢者と領域別に課題が語られるが、いずれも背後にある家族との関係を抜きにしては問題に対処することは困難である。
人類の生存基盤としての家族関係を支援する多様なハードとソフトに関する国民一人一人の必要に応じた社会保障政策の抜本的なあり方を提言したい。

2010年10月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第69号
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2010.11.01 Mon l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top
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