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「ファシズムは美しい言葉とともにやってくる」とは作家なだいなだの言葉だが、社会福祉になぞらえれば「市場原理主義は、社会福祉を美しい言葉で彩ってやってくる」と言えなくもない。
かつて社会福祉基礎構造改革で喧伝されたキィワードは利用者中心、自己選択のできるサービスの充実、権利擁護、地方分権、自由な契約等々であった。
その具体化は、2000年度以降の「介護保険法」「社会福祉法」「障害者自立支援法」に集約されている。
社会福祉の一般化、普遍化、権利擁護、福祉サービスの選択・利用などのキャッチフレーズが並べられ、福祉が大幅に前進するかのようなイメージを国民の多くは抱いた。
介護保険発足当初の予算額は3兆円であったが、09年には7兆円にも達しようとしている。
このため、2006年の改正は、介護認定基準を変え、要介護から要支援という予防給付の認定基準を新しく設けるほか給付回数を減らすなど給付費の削減システムを導入した。
介護保険料は65歳以上の高齢者の年金から待ったなしで天引きがはじまり、介護費用の10%の応益負担に加えて、住宅費と食費のいわゆるホテルコストの徴収が別立てになり負担が一段と重くなった。
一方、施設サービスは、全国的に特養の待機者が大量に発生し、今や40万人を超え、待機期間も2~3年が普通の事態となっている。
介護保険施設の定員は65歳以上人口の3.5%程度とされているが、その施設整備達成率は60%前後である。
介護保険料の値上げは行財政負担に直結するために、全国的に市町村で施設整備の抑制が行われている。
東京都が群馬県渋川市にある無届けの有料老人ホームの「たまゆら」に被保護世帯の高齢者を中心に他県にアウトソーシングして10数人の焼死者を出したのもこの文脈にある。
かつて、今後、老人ホームに入るのは東大に入るより難しくなるとの冗談がささやかれていたが、待つだけではなく、その間に無念のまま亡くなる高齢者は膨大な数を数え、介護づかれによる家族内殺人事件の多発化を考え合わせるとなべて関係者は「緩慢な社会的殺人事件」を黙認しているといってよいだろう。
「民間保険」というのは、生命保険や自動車事故保険のように「自由契約」による自助責任の保険料に対応して給付が保障される仕組みだが、社会保険としての介護保険は、高齢者本人、40歳以上の国民、事業主、国、県、市町村が協働していわゆる、自助、共助、公助を組み合わせ、介護の社会化を目指した勝れた日本的なシステムである。
しかしながら、近年、被保険者がいざ要介護になり、給付を受けようとする段階になると、給付が受けられなくて我慢をしいられ、保険料だけ完璧に徴収され、行政は需要をコントロールする要介護認定方法と給付費制限の仕組みの確立に集中し、その範囲内においてサービス給付と責任は、利用者と事業者の利用契約の問題にしようとしているかのようである。
仕組みの持続のために国民が存在するのではないのだから、これではまるきり国民は浮かばれない。
福祉の普遍化とか利用契約という美名の裏の行き過ぎた市場原理主義を超え、国民の介護ニーズの実態に的確に対応した世界に誇れる介護保険システムの確立に向けて、関係者は声を大にし、介護保険制度の改革運動を提起するべきである。

2009年8月号 日本ソーシャルワーカー協会会報 第62号
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2009.09.16 Wed l 社会福祉はこれでいいのか l コメント (0) トラックバック (0) l top

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